実は、知る人ぞ知る話ですが、
タモリさんは模写と言いますか、
モノマネがめちゃくちゃ上手です。
素人時代にバカボンなど描いていた
漫画家赤塚不二夫さんの家に居候させられていたのも、
タモリさんが、面白すぎたからだそう。
『徹子の部屋』に出演された時にタモリさんが言われていた
モノマネの訓練方法や、実際モノマネしている動画をご紹介します。
タモリさんのモノマネのうまさはいつから?
人からおもしろいって聞いても、実際見てみると、
そうでもないってことがありますから、
まずは、タモリさんのモノマネしている動画をご紹介します。
幻は、こういう笑い好き。
タモリさんはどうやってこの技を?
タモリさんが、高校を卒業した後、1年間の浪人生活を送っている時に、
押入に潜り込み、中国や韓国からのラジオ放送を長時間聴いていたそう。
これが、「6か国語マージャン」や先の動画などでの「インチキ外国語芸」へと
つながったようです。
でも、徹子の部屋で言われていましたが、日頃から、一風変わった訓練を
されていることがあって、それをずーっと何十年も続けているからこそ、
身についた芸ではないかと、管理人は思っています。
タモリさんの訓練とは?
徹子の部屋で、黒柳徹子さんに言われていた内容ですが、
タクシーに乗った時に(基本変装でバレない)、
都度設定を決めて、その人になりきる
ことをしているのだそうです。
実際、簡単じゃない事だと思うんですけど、
普段から、
新聞読むときも、雑誌を読むときも、
このネタは、今度●●になりきった時に使えるかも?
っていうネタ探しを常にしているそう。
大体、タクシーに乗った時に運転手さんから、
職業を聞かれるそうなんですけど、
例えばそこで、
証券マンですか?
って聞かれたら、『実は・・・正解です』って言って、
タクシー降りるまでずっと、証券マンとして会話をするのだそう。
当然、専門用語も使うそうです。笑
その話が、あまりに盛り上がり過ぎて、
タクシーの到着地点についても、
運転手さんが話を終わらせてくれなかったことが、
数えきれないほどある
そうです。
また、このなりすましは、過去一度も、嘘だとバレたことは無いそう。
あの動画のインチキ外国語も、正しいこと言ってそうですものね。笑
タモリ素人時代の凄いエピソード
タモリさんが素人時代の凄いエピソードですが、
キッカケは、モノマネが面白すぎた事から展開していったようです。
![tamori-akatsukafujio](https://buzz-press.com/wp-content/uploads/2014/07/tamori-akatsukafujio-300x211.jpg)
1972年に、ジャズで有名な渡辺貞夫さんの福岡コンサートに行き、
コンサートのスタッフをしていた友だちと、友人が泊まるホテルで、
終電まで話し込み、帰ろうとした時に、やけに騒がしい部屋があって、
扉が半開きになっていたので、
知らない部屋だけども、そこに突入し、歌舞伎の舞をして、
部屋の人を驚かせたそうです。
その後、そこにいたジャズピアニスト山下洋輔さんが、
デタラメな朝鮮語で、非礼をなじってきたところに対して、
タモリさんがデタラメ外国語で応戦し、
山下さんを呼吸困難になるほど笑わせたそうです。
結局、その晩は始発まで一緒に騒ぎ、
『モリタです』とだけ名乗って、帰ったそう。
さらに後日談があって、
山下さんが気に入ってしまい、
喫茶店のマスターをしているタモリさんを見つけ出し、
博多に行く際は必ず呼ばれるようになり、
そんなに山下さんがおもしろいと言うのなら、という事で、
一度、見てみたいということで、その山下さんの芸能人仲間で、
「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」
が結成され、そのカンパにより、福岡から東京へ上京されたそう。
そこで錚々たるメンバー相手に芸を披露し、感動させ、
月一で上京して、即興芸を披露していたタモリさん(当時は森田)。
その後、漫画で既に成功していた赤塚不二夫さんの耳に入り、
赤塚さんが、見てみたいという事で、会いに行ったそう。
そして、赤塚不二夫さんが、その芸に感動して、
自らが出演予定の特別テレビ番組にタモリを出演させることを決意し、
さらに、福岡に返したくないから、
自宅の4LDKのマンション、ベンツスポーツタイプなどを保有する赤塚不二夫さんのそれらすべてを自由に使っていいし、小遣いも出すから
と言われて、福岡に帰らず、タモリは居候生活を始めたそう。
そうやって、芸能界の世界で顔が広くなり、デビューされたようです。
芸は身を助ける
って言いますけど、まさにそれを地で行くエピソードですね。
ちなみに、赤塚不二夫さんと会ったのは30歳の時で、
テレビ初デビューは31歳の時のようです。
タモリさんの、コトバへの考え方
子どもの頃から、タモリさんにとって、コトバは遊び道具だったそうです。
いっぱい知っているということは、
それだけで遊び道具が多いのと同じこと
と、いいともで言われていましたが、タモリさんにとって、
コトバとはとても大切なもの、かつ遊び道具
だったわけですね。
こんなことも言われていました。
コトバがあるから、ものが見えないということがある。
文化というのはコトバでしょ。
文字というよりコトバです。
ものを知るには、コトバを知ることなわけです
なるほど、モノマネがおもしろいって思っていたのですが、
実はデタラメ外国語も、タモリさんにとっては、
コトバで遊ぶという1つの形
であり、コトバを知ることを、大事にしているからこそ、
おもしろいものが生まれてくるのかもしれませんね。
まとめ
人を楽しませることというか、コトバ遊びだったり、誰かになりきることをよく考えているという、タモリさん。普段から、色々考えているからこそ、人が見て、おもしろいって感じる芸が身についていったのかも。タモリさんの生ライブショー企画があるなら、ぜひ参加してみたいですね。
自分が好きなモノをトコトン考えてみることこれって、私たちにもできることですね。タモリさんを見習いましょう!
最後、タモリさんがオールナイトニッポンで語ったホンネについて調べた記事をご紹介。
⇒タモリがいいとも終了後の行動をオールナイトニッポンで語った話とは?